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情と愛の違い

みなさんこんにちは。 天神駅直結の地下街の天井がオシャレすぎて度肝を抜かれているひろきです。

小学校の時からずっと疑問に思っていた謎が解けたのでシェア。

【情けは人のためならず】

小学校5年生くらいの話でしょうか。

漢字ドリルをやっていた山田少年。

その日の新しい漢字は「情」 情情情情け情け情け、、、 じょうじょうじょうなさけなさけさなけ、、、 何度か練習。 そのあとに出てくる例文。

「情けは人のためならず。」

(なるほど 聞いたことあるぞ。情けは人のためならず。よくいうよな。) (ん?まてよ、情けって人のためにならないのか?) (情けってなんだ?)

おもむろに辞書を引く山田少年 【情け】:他人に対する心遣い 哀れみ、思いやりの心

(!!?なぜ???なぜだ?なぜ心遣いや思いやりが人のためにならんのだ???哀れみってのはよくわからん) (お母さんも先生も思いやりをもって人に接しなさいって言ってたぞ?それに気遣う心ってすごく大切じゃん!人のためになってるじゃん!!) (ん??もしかしたら人のためじゃなくて、自分のためになるってことかな??) (「情けは人のためならず、自分のためなり」ってことが言いたかったのかな?) (なるほど、きっと情けをかけることは自分を成長させることなんだ。そういうことならよくわかるぞ。これからもちゃんと情け大切にしてこ)

と自分なりに結論を導き出してこれまで情けを大切にしてきました山田です。笑 でもねー、それ違ったん。 自分の成長のためでもなかったん。

その日もうっかり、お悩み相談的に相手の話を聞いていた山田。 「え、あのさ、別に同情して欲しいわけでも、哀れんで欲しいわけでもなかったんだけど。」 「ひろきはどう思うの?」

(え??)

なんならそうやって相手の話しを聞くこと(情け的な行為)が、愛のある行為であるとさえ思っていたよね。 なんか困ってるんだと思ったから、なんかしらの気づきや解決に向けた糸口が見えたらいいなとも思って接していたつもりだった。

あれこれ話したあと言われたのは、

「それって情けじゃん」

(Oh…) (これが情けってやつだったのか) (なんか全然嬉しそうじゃない)


別に慰めて欲しいわけでも、何か解決して欲しいわけでもなく、ただ俺の考えを聞きたいだけだったらしい。

その時に思い出したのが漢字ドリルだった。 「情けは人のためならず」

なるほどね、なんか今ならなんとなくわかるよ。 情けをもらっても、その人の成長や自立には繋がらないんだよね。 その瞬間は、なんか物事が落着してるように見えるけど、大局で見たら自分と向き合う機会を奪うようなものなのかもなって思った。

そしてそれはもちろん自分のためにもなってない。 ”その場がおさまる”みたいな視点だったら自分のためにも相手のためにもなってるかもしれないけどね。

っちゅうわけで、たまたま読んでた本に同じこと書いてあったから、一部紹介。

ーーー

【本当の愛は進化を促進する】  「情」とは相手の要求を叶えてあげたいという自己から出発します。かわいそうだから、助けて欲しいと言っているから、お願いしているから、一回だけと言っているから。。。 そこには断ったらなんと言われるか、断ったらどう思われるかが常に付きまとい、結局相手の要求を叶える方向に向かっていきます。 そしてそれが《愛=やさしさ》だと思っているのです。 〈愛〉とは、あいてが独力でできるように温かい目で見守り、自分なりに上手にやっていけるように応援する行為です。

ーーー

愛と情を混同しちまうんだよな。 そう考えるとだいぶ「情」で生きてきてたのかもなーとか思ってめっちゃ恥ずかしいし、だいぶクソ野郎だなって思ったよね。

これを晒すのもほんとは憚れるくらいだけど

新たな気づき記念。笑

どうやったら愛で人と関われるのかって考えたら、 ”その人が自立したり、進化していく先の様子が見えてる”必要があるよね。そのためには、その人がどんな風に生きたいのか、どんな状態になることを望んでいるのかってことに興味を持たなきゃ関われないよなーって思った。

自分のそれはなんだろうかって考えたら、これまためっちゃ恥ずかしいけど、

誰かや世間の価値観、成功ではなくて、自分が本当に望んでいる目的や幸せに気づいて「自分を生きる」をはじめる人が増えていくこと

が自分にとっての望みやな。

そこに進んでいくためにも、情で関わる自分はもう終わりや!!!

っつってうっかり情になってるだろうから、そんな山田を見かけたら、愛を持って関わってください。


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