わたしはいつも正しいと感じる道をあるいてきた。 ひとのために、ひとが喜ぶように、ひとが苦しまないように。 そのくせ自己主張も強く、『正義』を見つけてはひとを巻き込み行動していた。 想いのとおりの人生をあゆんでいると信じて疑わなかったため、 4月7日、わたしは大きな衝撃を受けた。
その日を境に、今までの人生がなんだったのか、苦しいほど自分と向き合う日々、一瞬が波のように押し寄せていた。 時には喜び、時には哀しみ、時には苦しみ、時には誇らしく。 想像をはるかに超えた自分との対峙に目だけじゃなく、心もそらしたくなるくらい辛かった。涙も多く流した。 それでもたどり着くのは無邪気で心が軽やかに感じるわたし、と気づいた。 大切なひとの存在。
それは《わたし自身》と肚で知ったのは5月13日。
多くの仲間とお別れをした。
もう戻れない、自分の星をみつけた。その星をめざしてあるく喜びを知ってしまった。

あれから2か月。 これから先、残り全部の命を使い果たす使命は『ひとのこと』。 誰かのために、という意味ではなく『ひと』として生きる意味とか、『ひと』って自分ってなんだろう?そんな自分の広さも深さもうんと知る機会や場所を創れないかなって。さらに希望があり、勇気や元気が湧く場所がひとには必要だと知った。 そんな想いは溢れるのに、自分自身の許しがなかなか得られない日々。 うんざりするほどたくさんの自分の枠にひっかかり、ジタバタする毎日。 今世、何度この状況から逃げ出しただろうか。 でもこの3か月は残ったスタッフの大亮、博揮、明日香が、わたし自身を諦めることを、苦しみからただ逃げ出すことを許さなかった。 またわたしも他のスタッフが同じような状況になっても、彼ら自身を諦めずに丁寧に心を向け、声をかけていた。ずいぶんと枠を取り払い楽に、自由になった。 わたしはこの仕事を通じて、お互いの魂を高め合う仲間を得た。 おかげで自分の星をみつけ、その星をめざしあるいている。 こんなにたくさんの『ひと』がいるのに、出会うひとはもうすでに決められている。 もし、あなたが出会うべく『ひと』にまだ出会っていないのなら、またすでに出会っているはずなのに、その存在に気づけなくて時を無駄にしているとしたら。 『ひとのこと』が運営する会員制コミュニティスペース・ときのすみか《刻刻kokukoku》がそれぞれ訪れるひととひとの《意味のある偶然の一致》が起こり、ほんらいの道を見つける機会、場所になると願って、明日オープンする。
あなたという刻(とき)と誰かの刻(とき)が交差する。
ときのすみか《刻刻kokukoku》で待ってる。
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