皆さんこんにちは
せっかく博多に来たのだからと「バリカタ」を頼んでみたものの、バリバリの麺にを前にその美味しさを全く感じられず、悔しい思いをしたひろきです。
思ったことがあるのでシェア!
【なにをするか より 誰とするか】
これふとさっき本を読んでいて思い出したことだったんだけど、ちょうど昨年、自転車で西日本を駆け巡っていたり、東南アジアぐるぐるしてる時にすごくそれ感じたんよね。
小学校の先生を悶々としている時の自分は「ヒッチハイクしてみたい」とか「世界の綺麗な景色を旅して見るんだ」とかそういうまだ経験したことのないことに対してとてつもない興味があって、とにかくそれをやり遂げるんだ!って思いで仕事やめた。
”やりたいこと”ってのがすごくたくさんあって、とにかく、一度きりの人生それしないで終わるとかありえんし。ってなったらやるしかないと思って仕事やめた。
んで、翌月には、自転車の旅に出ていたわけだけど、
自転車ってさ、1人やん。
1人なんよね。
移動している時はもちろん、ご飯食べる時も、綺麗な景色見る時も、基本ずっと1人なんよね。
長年行ってみたかった高千穂にたどり着いた時も、中国人と韓国人でごった返すあの渓谷を見ながら、
「あー綺麗だなあ」
チャリパンクして押しながら登りきった阿蘇山山頂も
「わあすごいなあ」
鹿児島で行った知覧の特攻隊の資料館も
「うう、胸糞悪いな」
なんよね。
自分のやりたかったことを叶えてはいるんだけど、どうもなんか満たされきらん感じ。
そこでようやく気づいたのが、
「あ、俺誰かと一緒にいたいんだ。仲間が欲しいんだ」
ってことだった。
目の前に広がってる景色って、確かにめっちゃ綺麗なのよね
でも「うわーーー!」ってのが数分続いたらさ、なんかだんだんそれが普通になってくのよ。
なんか一瞬いい感じなだけ。達成感はある。
最初はそれでよかったよ。
先生の仕事辞めて、平日の昼間にチャリこいで、自分こんなことしちゃってるー!
こんな綺麗なとこ来ちゃってるー!
めっちゃ人生謳歌してるー!
新しいものを見るってことに対して心は踊るんだけど、それが心の充足感とはちょっと違ったんだよね。
それよりも、公園のベンチに座って、ゆるーく深ーく生きるってことや、人間のあれこれについて誰かと話してる方がずっといいなって気づいた。
それしながら目の前が綺麗な景色だったらなお素敵だね。
でも、それに気づいたのも、結局とりあえずやってみたから。
やらないうちは、その奥にある自分の本当の想いに気づけなかった。
それは「綺麗な景色が見てみたい!!」っていうなんか、”目に見えて確かな利益そうな素晴らしいこと”の方がわかりやすくて、より強い刺激で、自分の心を振動させてくるから。
だから、本当の自分の気持ちに気づくためには、とりあえず、目の前にある、自分の”やってみたい”をやってみて、その振動を一旦満足させてやることが必要なんよね。
それが、本当の本当に、自分のやってみたいことだったのなら、それ続けたらいいし、もしかしたら、違う何かに気づくきっかけになると思う。
もし、今の自分を変えたいとか、もっともっと成長したいって想いを抱えて悶々としてるなら、椅子に座ってあれこれ考えるより、一歩踏み出して見るのが一番早い。それはまずは本当に目の前にある雑多なことからでいいと思う。
あそこのお店ずっと気になってたんだけど、ちょい高くて手を出しきらんでいたんよなーとか、本当は自分の考えてることを発信した買ったんだけど、なんだか怖くてしないでいたんだよなーとか。
やってみたら、案外それじゃなかったってのもわかったりするよね。
そして、実は、えー、やろっかなー、でもなー、どうしよっかなー、みたいななんか足踏みしてるのが楽しくなっちゃってる人も結構いる。
でもなーって言いながら、自分で決めきらずに、誰かに相談に乗ってもらい続けるみたいなね。それは、周りの人のエネルギー奪うだけやから、なんか違う方法見出そうね。
なんかある気がするんだけど、自分のしたいことがなんなのかわからないとか、頑張りたいけどどうしても勇気が出ないって人は、お話聞きます。
コミュニティスペース《刻刻kokukoku》まで遊びに来てみてくださいね。
ときのすみか《刻刻kokukoku》
年会費5500円
ワンデイ利用500円
博多区那珂3−26–33
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